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受験した大学にすべて落ちた三月、僕はただ揺れていた。
胸につけられた赤い花は、学ランの黒の上ではあまりにも目立ちすぎる。だから卒業式が終わってすぐに、むしりとって捨てた。
泣きながら集合写真を何枚も撮る同級生とは話すことが何もなかった。
みんな僕が、これから無職であることをうっすらと知っていて。だからみんなも僕と話すことがなくて、泣いたり笑ったりして、なんとなくその時間をやり過ごしたのだと思う。
誰かが、お別れ会をしよう、と言った。誰かが「それいいね。みんなこのあと駅前に集合」って言って、拍手が起きた。
僕はなんとも言えなくて、とりあえず笑っとけって感じで景色と同化した。うまく同化できたかは、わからない。だけど誰も、それには触れなかった。
うっすらとした気配のまま、僕は教室を後にした。まっすぐ家に帰るのもなんだかつまらなくて、だけど駅前に行く気にはなれない。だから、揺れている。今、ここで。公園のブランコで。
僕は小さく地面をけり出した。すこしだけ、ひんやりとした風を感じる。古びた遊具はきちんと手入れされているようで、思いのほかしずかに揺れていた。もっと子どもがたくさん来ているかな、と思っていたけれど、子どもたちの帰りにはまだ早かったらしい。公園にいるのは意外なことに、大人ばかり。ベンチには大学生くらいのカップルが、なぜか座らずに佇んでいる。すべり台の近くには二十代後半だろうか。女の人がひとりで、ぼんやりと散歩をしているようだ。
平日の日中の公園は、不思議な空気感がある。ふわふわとして、どこか冷めていて。三月という季節がそう感じさせているのかもしれない。
ここでも、誰も僕を見ていない。だけどそれが今はちょうどよかった。足を振り上げて、思いっきりブランコをこいだ。ぐん、と景色が流れてすこし酔いそう。こんなに速く景色が流れるもだったのか。油断するとくらくらした。もう一度力を込めてこぐ。また、何度もこぐ。
空に向かって両足を伸ばして、そこから落下するようにまた押し戻された。無心に、何度も繰り返す。
どんなに力を込めても、どこまでも高く上がっても、どこにも行けない。目を閉じて、その動作だけに集中する。上から下へ、下から上へ。一瞬の浮遊。うっすらと目を開けたけど、僕はただの一歩も進んでいなかった。
今度は立ち上がってこぎ出す。一瞬で空に向かい、また落ちる。さすが高校生。空までの距離が一瞬だ。何度もこいでいるうちに、僕はブランコに不思議な連帯感を持ち始めていた。
ぎちぎちとブランコが悲鳴をあげている。どこにも行けないのに、力は確かにかかっている。
もがくのだって楽なわけじゃないよな。わかる。わかるよ、その気持ち。
僕は、ただの一度だって、揺れているのが楽だなんて、思ってないのだから。
どこにも行けない力が、僕を振り回す。僕を揺らす。
なんていう遊びだ。なんてひどい遊具なんだ。誰が考えたんだ。
誰がこれを、遊びにしたんだ。
気がつくと公園には小学生が増えていた。シーソーには双子の女の子。お互いの顔を見合わせたまま、両足を宙に浮かせている。
そうか、ぴったり釣り合っていると揺れることもないのか。ブランコが、僕が揺れ続けているのは力が釣り合っていないからだ。あっちこっちに、ほとんど宙にぶつけるように力いっぱいこいでいる。時々、小学生が不思議そうに僕を見ていた。そりゃそうか。高校生なんて、小学生からしたら大人といっしょだ。そんな奴が一生懸命ブランコをこいでいたら、滑稽でしかない。ふざけて遊んでいるようにしか見えないだろう。
僕は笑った。声を出さずに。きっとこれで、僕の見た目は行動と一致している。僕は、揺れを楽しんでいる。そうとしか見えないはずだ。
「あ、やっぱり中山じゃん」
振り向くと、学ランに咲く赤い花が目についた。
「なに。駅前来ないで、ずっとここで遊んでたの?」
「ああ。てか、あれ。今帰り?」
ブランコのスピードを殺す。ブランコは波打つように、僕をその場で大きく揺らした。
「そーそー。今、帰り」
「へぇ」
もうそんな時間なのか。そういえば喉が渇いている。声が裏返って、うまく出ない。
僕は咳ばらいをひとつ。彼はブランコの前にある柵に腰かけた。ぐっと引き上げられた頬と開かれた目。興奮している。お別れ会の余韻だろうか。
「なんかさぁ。変な感じだよな。卒業って。昨日まで当たり前に通ってた場所にさ、明日から行かないんだぜ。学ランも今日で最後なんだなって、ちょっと寂しい気がするもんな」
「僕は中学も学ランだったから、もういいかなって思うわ」
「まじかぁ。女子は明日、制服着てディズニーランド行くんだって。制服ディズニーって女子はやるけど、男はやんないよな。なんでだろ? あれかな、修学旅行生みたいになっちゃうからかな。でもさ、着る機会がもうないんだったら一回くらい着てもよくね? さっきもちょっと話してたんだけど。この時期ならアリでしょ」
「うーん。いいんじゃない」
「だよな。卒業しちゃったけど、三月いっぱいはまだ高校が所属だもんな。俺ら。そうだ、そしたら、行く? 中山も。学ランディズニー」
ブランコは緩やかに揺れ続ける。止めようと思っても止まらない。静止するというのは、存外難しいものだ。僕はチェーンに寄りかかるようにして体を休める。ずっとこいでいたから。さすがに、疲労感がある。
「僕はいいかなぁ。だって、ほら。一応、無職だし」
へへへ、と力なく笑う。笑えた。すこしだけ、ホッとする。
「またまたぁ。中山はそんなの、なんとかなっちゃうだろ? なんかさ、ぶっちゃけ今も余裕じゃん」
「そんなふうに見える?」
「見える見える。だって笑ってんじゃん。達観してるっていうかさ」
「どうすかねー」
「いや、絶対お前楽しんでるでしょ。人とちょっと違うことするのとか、なんか中山っぽいっていうか。今もひとりで遊んでるし」
「遊んで……たね。確かに」
僕は笑った。かすれていたけど、声に出して。同級生も笑って、僕はさらに笑い続けた。
笑ってさえいれば、笑っているんだって思ってくれる。
楽しんでるんだって思ってくれる。あいつはただ遊んでるだけなんだって、そう言う。
僕はかわいそうじゃない。みじめでもない。そんなこと、誰も言わない。
僕は笑ってやり過ごす。流れる景色になって。認識できないほどに流れる、意味のない景色になるまで。
遊びの三月は、まだ終わらない。