おかざり

 


 

 臓物って、外からは見えないんですよね。

 何をいきなり言い出すんだ。と思われたかもしれません。もしくは、何を当たり前のことを、と思われたかもしれません。

 特に意味なく、しみじみと。

 なんとなくそんなことを思う朝。

 今日は何を着ようかなって思って、とりあえずいつものメイクをしてから考えるかなって思った朝。

 ラジオはずっとつけっぱなしで、だけど私が聞き取ったのは「今日は洗濯物がよく乾く」。それを耳にして、ああラジオついてたんだねって初めて気が付きました。いったい、だれがラジオをつけたのだろう。

 

 さて、服を選ばなければ。

 パジャマじゃ寒いから、そのへんにある服を適当に拾って着ていく。適当に拾って着ても大丈夫なように、私の服はほとんどが黒い。それか濃紺。選ぶほどの余地はないのに、私は服を選ぶと思った不思議。適当に着ただけでもう完成している。そうなるように服を買っているから、当たり前ではあるんですけど。

 

服もメイクも、自分らしさというものの表現だとよく聞きますね。

まぁそうなんだろうねって思う反面、そうなのかしらと思う。無意味な打消しすいません。着地点を決めずにとぶと、ふらふらと彷徨ってしまうのです。脳内って重力がないから。水面で浮き沈みするみたいに、ふらふらと彷徨っているのです。

ふとお飾りという言葉が脳裏に浮かんで、私はクリスマスツリーを思い出す。

ごわごわとしたプラスチックの枝葉に、飾りをつけるんです。それはいかにも取ってつけたようで、どこかが寂しくならないようにいろんな角度から見て、飾りをつけるんです。

お飾りって言うとなんとなく頭上に掲げるイメージがあったけど、十一月の私はクリスマスツリーを想うんだな。ツリーのてっぺんにある星じゃなくて、完成形のクリスマスツリーを想うんだな。ごわごわとして中身なんて何もないクリスマスツリーの、それらしさ。自己表現。

 

内側に在るものは外からじゃ見えないから。だから服やメイクで主張するのだと。

飾ることにはそんな言い分がある。内側にあるものを、わかるカタチにして主張するということなのでしょうか。

きらきらとしている。反射する、発光する。

赤も青も緑も金色も銀色も。

私は黒い服を拾って着る。前髪で隠れたまぶたの上に、きらきらのラメ。

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