とある道、ノスタルジー




  懐かしい気持ちは、泣きたい気持ちと見分けがつかない。


 これは比喩でもなんでもなく、ただの事実だ。
 だけど、泣きたいときに懐かしい気持ちになるわけじゃないから、それは相互に似ているというわけではないのだろう。

きれいに塗装された道が、ひび割れたコンクリートの道に変わった。それはあまりにも、私のあの頃そのまま過ぎて、いささか苦しい。

嫌な思い出が一気に噴き出すようだ。
落ち着いて頭を整理すると、良いも悪いも何もなかった。出来事なんてそもそも何もなかったような、ただの通学路なのに。


 私がそんな苦しいほど懐かしい道を通ったのは、単に暇だったから。朝からゆったりと過ごしたくて、家を七時に出た。ファミレスで朝食をとって、次の予定まで三時間近くゆっくりしてやろうと思った。
 だけど、その目論見はあっさり外れた。


目当ての店は開店まで一時間あり、仕方なくその近所をドライブしている。予定外のことに多少苛立ちつつ、懐かしい道を車で走る。
 すぐ近くまで、きれいに塗装された道路だというのに。
 この道は二十年以上変わっていないようだった。ふだんの私の行動範囲も、この道と同じできれいな道路まで。ガタガタにひび割れて、色あせて白線もろくに見えない昔の道路を使うことはない。

 

私がこの道を通った頃を思い出さないのと同じで、私はこの道を使うことがない。


 そこに理由はない。
 使うことがないから。この道を通っても、その先にあるどこに行く用もないから。道はどこにでも続いているというのに、この道はなぜか閉塞していた。ぼんやりとして、どこに続いているかすぐに答えられない。良いことも悪いこともなかった道。良いことも悪いことも、何も思い出せない道。


 脇にある田んぼでザリガニ釣りをしたことは覚えている。まったく、釣れなかったけど。

 ムクと呼ばれる犬がかわいくて、女の子たちと一緒に毎日なでていたことは覚えている。

 たけやという酒屋の裏で、男の子たちがフタを集めていたことも覚えている。集めてコマにするそうだ。たしか、一番人気は松竹梅だった。


 

 覚えている。

 だけどなぜだか、思い出したくない。

 


 思い出すのは面倒で、何か嫌なことを思い出してしまいそうな気がするのだ。良いことだってあったかもしれないのに。それでも悪いことを思い出すことにおびえている。

 ガタガタの道は、私が通った小学校と中学校まで続いている。途中、あの頃の踏切が高架に変わっていた。

ここを右に曲がれば、次の予定先。左に曲がれば、小学校と中学校に続く道。

 


 まだ、予定の時間まで少しある。

 だけど、もういい時間だろう。


 

 右折した私は、一瞬だけ振り返る。

 あの頃の私たちが毎日越えていた線路は、つるりとしたコンクリートでできた高架の上。その足元には群生したセイタカアワダチソウが、崩れそうな道の脇に揺れていた。



ご連絡フォーム

名前

メール *

メッセージ *