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「ね。禁断のローカル線コラム、書いちゃってよ」
編集長がいつもの思い付きでわたしを指名する。
「いいっすね。いっそ一駅ごとの車窓の風景で連載しちゃいます?」
たぶん、ガチで何にもない風景だと思うけど。
口には出さないけど編集部にいた全員がそう思っていた。
「攻めるねぇ。まぁ、そんな感じでよろしく」
にやりと編集長が笑う。会議を終えた足で、そのまま地元のローカル線の改札へ向かった。この路線は、ローカルとローカルをつないでいる。山から海へ。どこまで行っても、都会にはつながらない。正直、わたしは一度も利用したことがない。
東京の会社に通っていたのはもう十年も前になる。
過労で一か月、会社を休んだ。その間も会社はちゃんと動いていて、すごいなぁと思うと同時に「なんだわたし必要ないじゃん」と気づいて、あっさり退職した。特にツテもなかったが、あちこちの編集部で何でも屋のような仕事をしているうちに、それが板についてしまった。
電車に乗るのはいつぶりだろう。わたしは改札を探す。ホームはすぐそこなのに改札機が見当たらない。しばらくうろうろしてから、入り口にぽつんと立ったICカード読み取り機の存在に気づく。
おおう、無人改札。
気を取り直してホームに進む。単線のこの路線には、ホームはひとつしかない。狭いホームでは、思っていたよりたくさん人がいた。ベンチに並んだ女子高生たちは全員、セブンティーンアイスを食べている。電車が来るまであと十分。たしかに、アイスを食べたくなるくらい手持無沙汰だ。
わたしが会社に通っていた時は、どうやってこの時間を潰していたのだろうか。今お世話になっている編集部は自転車で行ける距離にあり、取材がない時の作業は在宅だ。こんなふうに電車に乗ることはもう少ない。だから少しだけ、わくわくする。
あの頃のわたしと、今のわたし。
十年というのはやっぱり短くないわけで、わたしの日常はいろいろと変わっている。結婚して子供はふたりいるし、仕事もしているけどあの頃よりもずっと自由だ。
ラクダに乗ったわたしの姿はスマホの待ち受けになっている。先月、鳥取砂丘へひとりで遊びに行って道に迷った。日本国内でも油断はいけないとしみじみ思う。
人は、その時々で自由になったり不自由になったりする。
こんなふうにぼんやりと、真昼間から電車待ちをしているとあの日を思い出す。過労で早退した日に、偶然友人と電車で乗り合わせた。
あの彼女は、あれからすぐに地元で再就職していた。それから数年働いて、今では社長夫人。義理の両親といっしょに暮らしている。写真を続けているかはわからない。幼子を育てている真っ最中なので、まだまだそんな気力はないのかもしれない。
彼女はあのまま、ずっと軽やかに生きていくのだと思っていた。
それくらいあの時の瞳は明るかったのだ。
もちろん、今が昏いというわけではない。では、ないのだけど。
所属のない、いわゆるフリーランスという身の上でいてわかったことがある。
羨望か軽視か。
どちらかの目で見られることが非常に多い。
上か下か、会社員でいた時のような「真ん中」で見られることは少なかったと思う。真ん中、言い換えれば普通というやつ。さすがにもう慣れているのでどうでもいいのだけれど、それを友人の瞳に見ると多少は複雑でもある。
やがて二両編成の電車がやってきた。
ここから一区間、五分間の電車の旅。
そして二十分待って再びこのホームに戻ってくる予定だ。
わざわざ電車に乗らなくても自転車で行ける距離。
近くて遠い旅路だ。
同じところに行くとしても、景色が違う。
だから旅、といってしまっていいだろう。
小さな電車は住宅地を縫うように走っていく。さっきまでアイスを食べていた女子高生たちは、相変わらずおしゃべりに夢中だ。誰も車窓風景なんて見ていない。これが彼女たちの日常で、現実なのだろう。
わたしはこんな景色は知らない。
アニメ映画『となりのトトロ』の猫バスはきっとこんな景色だ。
外から見ても、わたしが今ここにいることなんてわからない。
電車に溶け込んで見つけられないだろう。
『見て。わたしたち、風になってる』
ペーパーウェル05『旅』参加エッセイ。
「長い電車、遠いところ」といっしょに折本にした作品。
これもまた、書いた時の近況みたいなエッセイです。
ちなみにこのローカル線の車窓連載コラムは「よくこんなところをコラムにしたねw」「何もないwそれが良いw」と評判でした(笑)。