ひとり の つくりかた

 


「ひとりになりたいから、今度いっしょにスナック行かない?」



友人にそう誘われて、私は「うーん」とあいまいに返事をする。

 

『ひとり』になりたいから

今度『いっしょに』

『スナック』行かない?

 

言ってる意味はわかるけど、違和感はある。

ひとりになりたいという言葉は、結婚して母親になった友人たちからよく聞く。この場合の「ひとり」は、物理的な一人ではなくて「私自身でいたい」という意味だ。


よって、冒頭の言葉を翻訳すると

 

「家族とか母親って役割のしがらみから一時逃れて、個人として過ごしたい。個人としてちょっと羽目を外しておしゃべりしたい。だけど一人で行くのは勇気がないからいっしょに行こうぜ」

という意味である。


ひとり、という言葉は厄介だ。

たいていそれは字面通りの意味で使われていない。幾重にも付与された、もしくは自分で付与してきた何かを一時降ろして、ただの自分になりたい。ただの自分というものを思い出したい。そんな意味で使われることのほうが増えている気がする。


あくまでも、リアルな私の体感だが。

ただの「ひとりぼっち」を望む人って、案外少ない気がする。


リセット。たぶん、それに近い。


新しい自分をもって、関係を結ぶ。
新しい自分とはいうものの、本当に新しい自分というわけではない。今までの自分で使いたかったもの、これこそ「自分」と言いたいものを主として構築していたりする。これってSNSの世界でよくあることで、同時にリアル世界でもよくあることなのだなと思う。

しがらみという言葉でくくるのは好きじゃない(むしろ嫌い)のだけど、関係を断ったり結んだりすることで保っているバランスがある。それが自分の意思でコントロールできるのが友人の言った「ひとり」なのかもしれない。



ところで。



私が冒頭の友人に誘われて「うーん」と返したのにはまだ理由がある。



友人は自分自身を新たに構築するけど、いっしょに行く私のことは

「彼女、○○っていう媒体でライターやってるんですよ」

とかネタにする可能性大なのだ。

これはこの友人に限ったことではないのだが、けっこうな確率でやられる。私は自分の仕事の話なんて、飲み屋でしたくないというのに。



自分はリセットして楽しむのに、私には日常を引き継がせるんかーい。


悪気がない分、改善の余地がない。




私がひとりになるのなら。



私は○○なんて看板は全部なくして、もっと薄ぼんやりとした背景みたいになって。



あれ。



とか、




それ。



みたいに曖昧な何かになって。





触れても感触の無い、掴みようのない何かとして、にこにこと漂って過ごしたい。

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