わたしは人の頭を、犬みたいに洗う



わたしは人の頭を犬みたいに洗う。

シャワーを子どもの頭からかける。
「目をしっかり閉じておいてね」と声をかけて。
子どもはうつむいて、両手で目をふさいでいる。

犬みたいに。っていうと、なんだか可哀そうな響きなのだけど、実際はきゃっきゃと盛り上がりながら洗っている。

なんでこんな洗い方をしているんだっけ。と考えてみるけど、わたし自身はこんな洗われ方をしていたわけではない。母親のひざの上であおむけになって、小学生になってからも赤ちゃんみたいに洗われていた。
髪が長いのも理由のひとつだったかもしれないが、ていねいにケアされていたと思う。

実母に子どもを預けた時、子どもの風呂の入り方を聞かれた。
「えっそんな雑なやり方してるの?!」と驚かれたし、友人には「滝行か!」と突っ込まれた。

でも、大人になったらみんな頭からシャワー浴びたりするし、これが水慣れにつながるかもしれないじゃん……?


非難ごうごうのわたしの洗い方だが、そんな言い分があったりする。

まぁそうだけど、と、言われたほうはたいてい微妙な顔だ。


こんな洗い方をするのは子どもに限ったことではない。

思い返してみると、わたしは恋人にたいしてもそうやって頭を洗っていた。子どもとか大人とか、関係ないのね。ほっとしたような、しないような。とりあえず「人の頭を犬みたいに洗う女」ということは何も、変わっていない。


わたしは犬を飼っていた。

小型犬で、たいていの犬と同じでシャンプーが大嫌いだった。狭い風呂場をぐるぐるとまわって、わたしはいつもその後ろを追いかけながら洗っていた。
それは、犬を飼っていた思い出の中でもほほえましい光景であるが、最中は真剣だった記憶がある。耳に水が入らないように、せっけんの流れが目に入ったりしないように。最大限の注意を払って、洗っていた。

愛情表現?
そんなたいそうなものではないだろう。
洗われていた記憶より、洗っていた記憶が勝っているだけなのかも。

だけどいま、わたしがどちらのやり方で洗われたいか、と聞かれたら迷うことなく「犬みたいな方」と答える。だれかに自分をゆだねなければならない格好よりも、ぎゅっと小さくなって自分を守る格好を選ぶ。単純にそのほうが、落ち着くから。

警戒心が強い? いやいや。
たんなる好みの問題だろう。


※noteからのお引越し記事です

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